学習者の成長のために書かれたテキストとして
2009年11月15日
このテキストの一つの大きな特徴は、学習者の人間的成長の一助となるべく作られている点にあります。
もうちょっと具体的に言うと、このテキストは、読者層、使用者層を「自国の高校以上の教育機関を卒業し、ある程度の知的活動を指向する学習者」に絞っています。
もちろん、年配の方の中にも、日本に住んでからそのようなインテリジェンシアの世界を覗いてみようとか、足を踏み入れてみようと思われる方がいらっしゃるので、年齢で区切っているわけではありません。しかし、高校を卒業以上の知的レベルを前提としているという点は重要です。
その上で、このテキストは、「大学ではどのような学問があって、どのようなことをしているのか」を、それぞれの分野について少しずつお見せする、というような目的をもっています。
このように学習者のターゲットを絞り、目的を明確にすることを、「「大学生」になるための」というタイトルで表現しました。
「大学生になるための」と表記されていないことに注意してください。この本のタイトルは、「「大学生」になるための日本語」なのです。
とりあえずは、大学生になってみたけれど、どうも自分は本当の意味で「大学生」にはなれていないのではないか。
あるいは、自分の学生は、まだ「大学生」と呼ぶには少し未熟なのではないか。
そのように感じておられる学習者のみなさんや大学で教える先生方にも手にとってもらえれば幸いです。
もちろん、日本語学校でこれから「大学生」になるべくがんばっている学習者の皆さんには、是非是非使用していただきたいと思っています。
これまでの日本語のテキストの話題を見てみてください。特に中級程度のテキストについて考えてみましょうか。
一般的に「中級」とは、日本語の文法、表現、語彙のレベルが「中級」である、ということだと解釈されます。
これは我々も同じ意見を持っています。
しかし、ここに大きな落とし穴が待っています。これまでのテキストが知らず知らずに陥る大きなミス。
それは、
文法、表現、語彙のレベルが下がると、扱う話題のレベルも一緒に下がる
ということです。これはこれまでまともに取り上げられることはなかったと思いますが、非常に重要な(テキスト作成者、あるいは日本語教師、日本語教育界の)失態であったと思っています。
我々がテキストを作る時に、実は我々も同じミスを犯しました。
あるとき、こんな問題を用意しました。
「ラーメンとうどんは何が違いますか?」
これは、「比較する」というタスクを達成させるために、「それに対して」とか何とかいうような表現を用いてもらうことを念頭においた練習問題でした。
これを持って行った時、ある人からこのような指摘を受けました。
「この問題、大人がやってみようと思いますかね?この問題をとくことになる学習者、楽しめますかね?」
およそ3年前、このテキストを作り始めたときのことです。
我々がベースにしているプロフィシェンシーを基盤にした日本語教育では、「中級」とはおおよそ、「自分の身の回りのことについて、簡単な文を用いて表現することができる」レベルであると考えていると思います。詳しくは先日のブログ「プロフィシェンシーを基軸に~タスクと文法の融合」で紹介した本をご覧ください。
例えば「大学生」が話す話題には色々ありますが、「うどんとラーメンがどう違うか?」ということが話題にのぼることはまずありません。同じ比較をするにしても、「日本の中華と本場中国の中華はどう違うか?」とか、「日本人の恋愛の仕方とアメリカ人の恋愛の仕方」とか、「言語心理学と心理言語学の違い」というようなことを比較することが多いのではないでしょうか。
どんなに日本語が話せない学習者でも、ある程度の知的レベルを持っている方ならば、これらのことを話題にしたいと思っているはずで、日本語はこのような話題を伝え合うためのツールでしかないと思うのです。
つまり、我々日本語教師は、「日本語を教えるために、話題を選択」しますが、学習者の日本語を学習する意図はそうではなく、「大人として、こういう話題を話したいがために、日本語を学習」しているのです。
そうであるならば、文法、表現、語彙の未熟さに関わらず、話題は「大学生」に相応しいものを提供するべきである。これが我々がたどり着いた結論でした。
さらに、「彼らが必ずしも持っていない興味にも目を向ける」ことも重要な、テキストのなすべき役目であると考えています。
昨今、多くの、「大学生」になりたい留学生たちは、高校を自国で卒業してほどなく日本へやってきます。彼らの知性はまさに育ち盛り、そのような重要な時期、一年ほどの期間、彼らは日本語を学習しますが、日本語だけを勉強して、知的好奇心に何の刺激も与えないというのは、日本語教育の怠慢であるように思い続けてきました。
今回、このテキストのお話をいただいたとき、そのような我々の想いを形にするチャンスをいただいたと思いました。
このテキストは、そのような意味では、「人間教育の一助を担う、日本語のテキスト」という新しい日本語テキストの形を世に問うているのだと、大げさに言えばそのようになりましょうか。
内容については実に多岐にわたります。
文学はもちろん、経済、法律、科学、ものづくり、言語、医学、脳科学、哲学・・・
こういったような分野の専門家たちによって紡がれた文章を中心にして、テキストは構成されています。
「大学生」になろうと思っている学習者たちの知的好奇心を、うまく刺激することによって日本語学習へのモチベーションを高めることができれば、このテキストは効果的に使われていくのではないかと思います。
もうちょっと具体的に言うと、このテキストは、読者層、使用者層を「自国の高校以上の教育機関を卒業し、ある程度の知的活動を指向する学習者」に絞っています。
もちろん、年配の方の中にも、日本に住んでからそのようなインテリジェンシアの世界を覗いてみようとか、足を踏み入れてみようと思われる方がいらっしゃるので、年齢で区切っているわけではありません。しかし、高校を卒業以上の知的レベルを前提としているという点は重要です。
その上で、このテキストは、「大学ではどのような学問があって、どのようなことをしているのか」を、それぞれの分野について少しずつお見せする、というような目的をもっています。
このように学習者のターゲットを絞り、目的を明確にすることを、「「大学生」になるための」というタイトルで表現しました。
「大学生になるための」と表記されていないことに注意してください。この本のタイトルは、「「大学生」になるための日本語」なのです。
とりあえずは、大学生になってみたけれど、どうも自分は本当の意味で「大学生」にはなれていないのではないか。
あるいは、自分の学生は、まだ「大学生」と呼ぶには少し未熟なのではないか。
そのように感じておられる学習者のみなさんや大学で教える先生方にも手にとってもらえれば幸いです。
もちろん、日本語学校でこれから「大学生」になるべくがんばっている学習者の皆さんには、是非是非使用していただきたいと思っています。
これまでの日本語のテキストの話題を見てみてください。特に中級程度のテキストについて考えてみましょうか。
一般的に「中級」とは、日本語の文法、表現、語彙のレベルが「中級」である、ということだと解釈されます。
これは我々も同じ意見を持っています。
しかし、ここに大きな落とし穴が待っています。これまでのテキストが知らず知らずに陥る大きなミス。
それは、
文法、表現、語彙のレベルが下がると、扱う話題のレベルも一緒に下がる
ということです。これはこれまでまともに取り上げられることはなかったと思いますが、非常に重要な(テキスト作成者、あるいは日本語教師、日本語教育界の)失態であったと思っています。
我々がテキストを作る時に、実は我々も同じミスを犯しました。
あるとき、こんな問題を用意しました。
「ラーメンとうどんは何が違いますか?」
これは、「比較する」というタスクを達成させるために、「それに対して」とか何とかいうような表現を用いてもらうことを念頭においた練習問題でした。
これを持って行った時、ある人からこのような指摘を受けました。
「この問題、大人がやってみようと思いますかね?この問題をとくことになる学習者、楽しめますかね?」
およそ3年前、このテキストを作り始めたときのことです。
我々がベースにしているプロフィシェンシーを基盤にした日本語教育では、「中級」とはおおよそ、「自分の身の回りのことについて、簡単な文を用いて表現することができる」レベルであると考えていると思います。詳しくは先日のブログ「プロフィシェンシーを基軸に~タスクと文法の融合」で紹介した本をご覧ください。
例えば「大学生」が話す話題には色々ありますが、「うどんとラーメンがどう違うか?」ということが話題にのぼることはまずありません。同じ比較をするにしても、「日本の中華と本場中国の中華はどう違うか?」とか、「日本人の恋愛の仕方とアメリカ人の恋愛の仕方」とか、「言語心理学と心理言語学の違い」というようなことを比較することが多いのではないでしょうか。
どんなに日本語が話せない学習者でも、ある程度の知的レベルを持っている方ならば、これらのことを話題にしたいと思っているはずで、日本語はこのような話題を伝え合うためのツールでしかないと思うのです。
つまり、我々日本語教師は、「日本語を教えるために、話題を選択」しますが、学習者の日本語を学習する意図はそうではなく、「大人として、こういう話題を話したいがために、日本語を学習」しているのです。
そうであるならば、文法、表現、語彙の未熟さに関わらず、話題は「大学生」に相応しいものを提供するべきである。これが我々がたどり着いた結論でした。
さらに、「彼らが必ずしも持っていない興味にも目を向ける」ことも重要な、テキストのなすべき役目であると考えています。
昨今、多くの、「大学生」になりたい留学生たちは、高校を自国で卒業してほどなく日本へやってきます。彼らの知性はまさに育ち盛り、そのような重要な時期、一年ほどの期間、彼らは日本語を学習しますが、日本語だけを勉強して、知的好奇心に何の刺激も与えないというのは、日本語教育の怠慢であるように思い続けてきました。
今回、このテキストのお話をいただいたとき、そのような我々の想いを形にするチャンスをいただいたと思いました。
このテキストは、そのような意味では、「人間教育の一助を担う、日本語のテキスト」という新しい日本語テキストの形を世に問うているのだと、大げさに言えばそのようになりましょうか。
内容については実に多岐にわたります。
文学はもちろん、経済、法律、科学、ものづくり、言語、医学、脳科学、哲学・・・
こういったような分野の専門家たちによって紡がれた文章を中心にして、テキストは構成されています。
「大学生」になろうと思っている学習者たちの知的好奇心を、うまく刺激することによって日本語学習へのモチベーションを高めることができれば、このテキストは効果的に使われていくのではないかと思います。
Posted by つんこ at 00:25│Comments(0)
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